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〒706-0001 岡山県玉野市田井3-1-20

肛門科診療案内Proctology 

 当院では痔核(いぼ痔)・痔瘻(あな時)・裂肛(きれ痔)-この3疾患を3大肛門疾患といいます- をはじめ、様々なお尻の病気の治療を行っています。

はじめに

 「痔(じ)」は日常的でありふれた病気です。日本人の3人に1人が「痔主」と言われますが、人知れず「痔」の痛みに悩みながら、病院に行くことをためらい、我慢している人はかなりの数にのぼると思われます。自分の肛門を他人に見せることに恥ずかしさを感じるのは自然な人間心理です。羞恥心に対する配慮を医師、看護師は怠ってはなりませんし、実際、全国殆どの大腸肛門病専門施設では患者様の気持ちに配慮したさまざまな工夫がこらされています。問題は「誤った情報や言い伝えにより、痔の治療に対する過剰な恐怖心を持たれている人がいまだに多くいる」という現実です。「肛門科にいくとすぐに手術される」とか「痔の手術の痛みは想像を絶するほどに強烈」などと言われれば、どんなに今痔に苦しめられていても、誰でも肛門科受診をためらってしまいます。「こっそり治したい」気持ちから得体の知れぬ治療法をうけてしまい、その結果、切らずにすむ痔を余計にこじらせてしまったり、直腸癌の発見が送れ手遅れの状態となりようやく病院を受診し、命までも縮めてしまった人たちを私は知っています。「痔」とは便秘や下痢の繰り返しによって引き起こされる病気です。誤った食生活や運動不足、ストレスなどの生活習慣が「痔」の原因と考えられています。すなわち、「痔」は「糖尿病」や「高血圧」などと同様、生活習慣病の1種なのです。最近では「痔は切らないでつきあっていくもの」という考え方が主流です。病院に行ったからといっていきなり手術されることはありませんので、安心して受診してください。このページを作った目的は「痔の治療に対する理不尽な恐怖心を取り除く」ことです。「痔」に関する正しい情報を得ることで、恐怖心はうすらぎます。

痔の種類

 一般に痔と言えば次の3疾患、すなわち1)痔核(じかく、いぼ痔)、2)裂肛(れっこう、切れ痔)、3)痔瘻(じろう、穴痔)をさします。この三大疾患以外にも肛門とその周辺には色々な病気があります。洋の東西、老若男女を問わず、多くの人たちを悩ます痔疾患はまたとても人間的な病気であるとも言えます。サルから進化し、四つ足から二本足で歩くようになった人間は大脳新皮質を発達させ、真善美の概念を持ち、行動半径を広げ、人間社会を作り、同時に痔に悩ませられるようになったのです。

痔の歴史

<古代>

 人間と痔の関わり合いは古く、人類史の初期にまで遡ると推察されます。現存する文献を検索することで、人間が太古からどのように痔と関わってきたのかを知ることが出来ます。 タイムトンネルで紀元前まで遡ってみましょう。 キリスト教誕生よりはるか以前の BC400年、ヨーロッパにはギリシャ文明が栄えていました。 現在でも医師のモラルの最高の指針とされる有名 な ” ヒポクラテスの誓い ” を著したとされるヒポクラ テスはこの時代の医師です。彼の残した医学書は 医学史上最も初期の文献ですが、痔の診断と治療に 関する記述が見られます。古代インド、中国の古い 医学書にも紀元前にしてすでに痔疾患に関する記載 があります。

<仏教伝来から江戸時代>

 日本でも古代より肛門疾患の治療が行われていました。日本の痔の治療は552年、仏教伝来とともに中国から伝わったと考えられ、痔疾患に関する我が国最初の記載は718年、養老律令の注釈書 ” 令義解 ” とされています。中世に至るまでの長い期間、病気は神のたたりと考えられ、治療は神にひたすら祈るという呪術によるものでした。鎌倉、安土桃山時代には痔の治療法として中国から伝わった腐食療法、結紮療法などが行われていましたが実際には呪術や経験による方法が主だったようです。江戸時代には幕府が鎖国政策をとっていましたが、長崎にオランダ医学(蘭学)が導入されました。南蛮医学の渡来とともに日本における肛門疾患治療も変化し、確実、合理的な治療法が発達し始めます。近世と呼ばれるこの時代には杉田玄白(すぎたげんぱく)、本間棗軒(ほんまそうけん)など後世に名の残る医師も現れます。本間棗軒の著した ” 瘍科秘録 ” は学問的にも高い評価をうける医学書で、肛門疾患の診断治療に関する詳細、具体的な記述が見られます。

<明治時代>

 明治時代に入ると、鎖国が解かれ、新政府より ” 西洋医術差し許し ” の布告が発令されました。西洋分化がさかんに導入されるようになり、日本の医学にも大きな影響を与えました。ドイツ医学が主流となり、それまでの主流だった漢方医学はこの頃より衰退を始めます。ドイツ医学全盛時代は明治、大正、そして昭和の大東亜戦争終結時まで続きました。私が医学部 の学生だった頃(1978ー1985 年)、ドイツ語は必須単位でした。 (今でも多くの大学医学部でドイツ語 の授業がなされています。)学生の私は ” なんで今更ドイツ語? ” と疑問に感じ ていましたが、このようなドイツ医学を主流とした近代日本医学の歴史が背景にあった訳です。 この時代に導入された痔核に対する Whitehead (ホワイトヘッド)手術は痔核組織を全部切除して直腸粘膜と肛門周囲皮膚を縫合するという方法で、激しい術後の痛みと術後肛門狭窄などの後遺症の問題があり、現在ではごく一部の肛門科医が行うマイナーな方法となっています。ホワイトヘッド法にとってかわったのが結紮切除術:Ligation and excision method(L-E法)です。

痔の治療に対する考え方の変化

 肛門疾患の治療は根治を目的とするだけでなく、術後の肛門機能を重視した方法が重要であるという考えかたから、1937年に Milligan ETC, Morgan CN により提唱された結紮切除法が息を吹き返し、現在に至るまで痔核根治手術のスタンダードとなっています。結紮切除法はその後色々に改良されていきます。原法では痔核組織を切除した後を縫い合わせずに開放創としていましたが、切除後の肛門上皮を縫い合わす半閉鎖法が主流となり、 最近ではレーザーやアルゴンプラ ズマ凝固法などの新しい機器が使用 され、各施設で様々な工夫がこらさ れていますが、いずれも結紮切除法 を基本としたものです。
APC
当院の痔核に対する標準術式(アルゴンプラズマ凝固装置を使った結紮切除術)

<昭和初期 から終戦まで>

 1940年(昭和15年)に日本直腸肛門病学会が設立されました。この学会は後に現在の日本大腸肛門病学会に発展改称されます。歴史家が近代と呼ぶこの時代には、著明な政治家、文学者らが多数輩出されました。伊藤博文や夏目漱石も痔主だったことを皆さんご存じでしょうか。現存する手紙から彼らがいかに痔核(伊藤)、痔瘻(夏目)に悩まされていたかを知ることが出来ます。
 1945年の終戦と同時にアメリカ軍が日本国内に進駐し、マッカーサーら連合軍総司令部による統治下、日本人の洗脳教育が始まり、日本の分化、政治経済はすっかりアメリカナイズされてしまいました。日本の医学会でも、この頃からドイツ医学が影を潜め、アメリカ医学一辺倒となっていきます。アメリカの民主主義、科学万能手技、合理手技は多くの利益とともに様々な弊害を日本にもたらしました。医学の分野ではアメリカが日本に貢献したことは否定できず、それまで不治の病とされていた病気や怪我に苦しんできた多くの日本の患者さんたちに福音をもたらしました。1945年はフレミングがペニシリンの発見でノーベル医学賞を授賞した年でもあり、この頃より科学技術(テクノロジー)が先進諸国を中心に急速に進歩しはじめ、日本の医学も大きく様変わりし、日本独自の診断治療法が確立されます。1967年、日本直腸肛門病学会は日本大腸肛門病学会に改称されました。医学研究の中で取り残され気味だった大腸肛門領域にもようやく科学の光が差し込み、多くの医師達が大腸肛門の病気に真剣に取り組むようになりました。理不尽な話しですが、それまで痔の治療に真面目に取り組む医者は他の領域の医師達から蔑視される傾向がありました。イギリスでは肛門科医を pile doctor という蔑称で呼ぶ医師たちがいたそうです。残念なことですが、社会は表と裏の顔を持ち、医学界も他の社会同様に裏の顔(dark side)を持っている現実を裏付けるものと考えられます。

<1960年以降>

 海外から多くを学んできた日本は今や様々な領域で、世界へ向かっての情報発信国となりました。現在日本で行われている大腸肛門病に関する研究や診断・治療法は世界に多大な影響を与えています。 IT(Information technology)化、グローバル化が進み、情報の国境がなくなりつつある現在、我々日本人は人類、そして地球人の一員として世界に貢献していかなければなりません。アメリカから導入された臓器別医療は現在日本にも広く浸透し、多くの優れた臓器別専門医を生み出しました。同時に、自分の専門外のことは全く解らないしまた興味もないというようないわゆる専門馬鹿も現れ、大きな社会問題となりました。臓器別医療の限界と弊害が指摘され、プライマリーケア (primary health care)の重要性を見直す試みも皮肉なことにアメリカから始まり、日本に伝えられたものです。しかし現実はそう悲観するものではなく、優れた専門医と呼ばれる医師の大半は人間、人体の多様性を理解し、人間をトータルにとらえています。

<21世紀 現在>

 20世紀半ばから科学技術はすさまじい勢いで発達し、感染症を初め世界中の多くの病気が克服されました。同時に、科学技術の進歩により、あらゆる病気が克服され得ると信じるような医者も登場しました。あたりまえのことですが、人間は機械ではありません。脳をコンピューターと言い切る科学者達がいます。しかしどんなスパーコンピューターも人間の脳に取って代わることはできません。人間の各臓器は信じがたいほど微妙なバランスでお互いに影響しあい、ホメオスタシス( homeostasis, 生体恒常性)を保っています。また ” 精神 : mentality ” そして“魂 : spirit”というものを持つ人間はいつの時代にあっても摩訶不思議な存在です。ヒトDNAの塩基配列が全て解読された今日においても、生命は人類が誕生した太古の時代と何ら変わることなく神秘のベールにつつまれています。抗生物質の乱用による薬剤耐性菌の出現、新たに出現したウイルスによる脅威など21世紀に生きる私たちには克服すべき新たな課題が与えられています。生殖、移植、癌末期の医療などに代表されるように、一歩間違えば、医療が持つ本来の使命が忘れられ、逆に生命の尊厳が損なわれかねない危険性のある現代、私たちはもう一度人間とは生命とはまた医療とは何かということを問われています。1989年日本大腸肛門病学会に専門医認定制度が導入されました。2004年現在、学会会員数は次第に増加しています。日本人の大腸ガン患者が増え続けている現在、解剖学的にも外科的にも肛門は消化管の最終器官という認識が一般的となりました。肛門のみを診て、大腸は診ないような医者は殆どいなくなりました。日本大腸肛門病学会では ” 肛門科 ” を ” 大腸肛門科 ” という標榜科に変えようという動きもあります。  私は日本大腸肛門病学会指導医としての自覚を持ち、今現在大腸肛門の病気に悩まされている人々が最善の治療法を受けることができ、また今後大腸肛門の病気にならないためには生活習慣の改善がいかに大切かということを少しでも多くの人に理解していただくよう、努力していきます。 このページの最初で申しましたように、古今東西、老若男女を問わず、お尻の診察をうけることは羞恥心をともないます。中谷外科病院では Informed consent(説明と同意)を大切にし、一人一人の患者様の気持に配慮し、誰もが安心して大腸肛門の診療を受けられるようスタッフ全員が努めています。 ” 恥ずかしさ ” は受診を送らせる大きな要因です。私の恩師である瀧上隆夫先生(チクバ外科胃腸科肛門科病院院長)は言われます。 ” 気後れは後悔をもたらす。 ” と。私も全く同感です。 くり返しますが、このページを作成した主たる目的は、あなたに大腸肛門病に対する正しい理解を深めていただき、間違った情報による痔の治療への恐怖心を取り除いててもらうためです。 2008年9月当院は日本大腸肛門病学会認定施設となりました。今後も最新・最善の医療を提供してまいります。

             中谷外科病院  中谷 紳


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